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アタチュルクの描いた国 トルコへ エフェソス遺跡⑨

2013-02-24 Sun : 旅行こと 
アジアとヨーロッパの交差点
シーザーの頃のローマ帝国
この地図で当時のローマの属州であったエフェソスの位置を把握しよう
無題アルテミス1遺跡発掘
エフェソスのアルテミス神殿を発見したのは、イギリス人技師ジョン・ウッド率いる、大英博物館の考古学探検隊である。彼らは、1863年から7年にわたりエフェソスの発掘を続け、186912月についに深さ4m半の泥の中から神殿跡を発見した。これは、シュリマンがトロイアやミケーネを発掘する以前のことで、東方の古代遺跡発掘のさきがけとなった。彼らが発見した円柱の断片などは、現在大英博物館に所蔵されている。


(資料転写)

無題発掘調査
近年になり、オーストリアの発掘調査団が引き継いでいます。彼らの調査は、2 つの世界大戦を除き、中断されましたが、 1954 年以来、現在も続けられています。今現在はオーストリアの発掘調査団の研究者だけではなく、エフェソス博物館の考古学者とともに、発掘と復元の仕事をし続けているそうです。トルコの企業も下記な形で応援しているのですね。


422 - エフェソピール
旅行中いつもお世話になっていたエフェスビールは実は遺跡発掘のスポンサーの一つだったのです。頂いた私たちも間接的に援助していたのだと思うと感激ですね。

(ギリシア語でエフェソス、トルコ語ではエフェス)


efes_plan2見取り図2

この案内図を参考にして参りましょうか!!!
トルコの観光・伝統文化の総合サイト資料参照
ヴァリウスの浴場が、 抜けていますので、
ここで修正いたします。 Aのマークの場所です。
エフェソスの想像見取り図1
まずは入場してすぐ正面のヴァリウスの浴場からスタートです。
ヴァリウスの浴場は紀元前2世紀に建てられ、冷水、温水の浴場のほか床下暖房も完備されていたそうです。まずここで長い旅の疲れを落とした。690 -ローマ浴場2
034 -ローマ浴場
長い船旅の疲れを落としたり、疫病や伝染病の消毒として漆喰(石灰を溶かしたもの)を全身に塗りそのあと浴場で身体を洗ったという説明でした。浴場 (2)

市庁舎 市庁舎2 アゴラ(石のゴロゴロ)とバジリカ(列柱)とテミノス神殿(1本の柱)とプリタネイオン(2本の柱)の写真692 -バジリカから
アゴラの隅に、水の貯留があり、ポリオの泉から、水が引かれていたそうです。何故なら、ポリオの泉の遺跡から沢山の土管が発掘されたからです。右隅の土管かな?
693 -アゴラ
このアゴラは160m×73mの広さです。 ローマ時代の紀元前 1 世紀に建てられました。このアゴラは商取引ではなく、それは政府の議論のための会合場所として重要な役割を果たしていた。
バリシカの看板


698 - バジリカ

バジリカ(大聖堂)跡

A.D 1 世紀の建築、長い側 10 列と 短い側6列に囲まれていました。バシリカ

2階建てと1階のバジリカの断面部分図    
無題バリシカ大聖堂

資料転写
バシリカは金融取引や裁判に使用された

次はオデオンの説明700 - オデオンの看板

オデオンは 2 階建ての柱をもつ装飾された素晴らしい建築でした702 -オデオンの入り口

ここが入り口です。上に登ると3箇所出口があり、扉のドアがあったそうです。706 - オデオンの出口
収容人数1500人。22段の階段状の観客席。035 - オデオン1

座席の場所とオーケストラのステージ(土間の部分)があります。

舞台の作りから議事堂としても使われていたようだという。

どんなコンサート聴いていたのでしょうか?

707 - ライオンの足

座席階段の縁にはライオンの足が刻まれている。

708 - 大理石と接合部分白い石の部分は当時の大理石(土と石とセメント?のような当時のジヨイント部分が解る)長い月日なのに、まだ接着している事が本当に不思議!!

701 - 雨どい (2)当時の雨どい(ガーゴイルは雨どいの役目をする)が並んでいます。

雨や日差しを避けるための木製の屋根が付けられていたそうです。ガーゴイドAガーゴイルは雨どいの役目をし、芸術的であるとともに、宗教的意味合いが強い。例えばエジプトでは寺院の平らな屋根の上にガーゴイルがあり、その吐き出す水で聖杯などを洗っていた
ガーゴイル

また、古代ギリシアの神殿では、屋根の突出部についた大理石でできたライオンの口やテラコッタ(赤土の素焼き)でできた貝殻から水が流れ出るようになっていた。さまざまな動物をかたどったものがあった。710 -オデオンの出口 この小さいアーチをくぐると、そこには
711 - プリタネイオン1

(テミノス神殿)があった

神殿の列柱の上にはコリント式とイオニア式の柱頭が載っていて、雄牛の頭の彫り物で飾られていた。 アルテミスとアウグストゥスの崇拝する祭壇があったとのこと。

(資料転写)


dea_roma1.jpg オデオン (音楽堂 ホール)と プリタネイオン(市議会上) の間にあるテミノス神殿です。ジュリアス ・ シーザーの養子でローマのアウグストゥス皇帝の許可を得て建立されました。

次はプリタネイオンの説明716 - イシス神殿

プリタネイオン中央にはかまどがありヘスティア女神の聖火が昼夜、灯っていたと云われています。聖火を守るのは、神殿官吏や行政職の高官でもありました。無報酬のプリタンに選ばれるのは、大変な名誉でした。714 - プリタネイオン

と言う!!この場所から出土したアルテミス像はエフェソス考古学博物館で展示されている。無題アルテミス1

後に、市議会堂と呼ばれる機能も持ち、エフェソスの高官たちが会議を開いたり、迎賓館のようなものだったと言われています。

無題プリタネイオン

(資料転写)

 

プリタネイオンとしてあまりに有名な2本柱があるが、それ以上は私には想像がつかない。ガイドさんはその当時の文献を勉強して、想像して

はなしているのだろうか?とても不思議!!!

エフェソス遺跡案内図

今回はここまでの進行です。まだまだ次回に続きます。

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アタチュルクの描いた国 トルコへ 魚の暗号⑧

2013-02-17 Sun : 旅行こと 

アジアとヨーロッパの交差点

ローマ帝国遺跡の残る
エフェソスの見学が始まります



687 三匹の猫 (2) 
チケット売場の付近で寝そべっていた3匹の猫がいいました。
欧州人達の来ないこの寒い季節に好き好んで来るのは、日本人と韓国人
位だよね、だから。ホテルも観光地も国も喜んでいるんだね

そういえばホテルも休憩所も観光地も行くところ全個所
トラピ、、とかクラブ、、とか旅物、、とかおなじみの
ワッペンだらけでしたね。私たちもそうだけど、、、
いいじゃないの~
国際親善に役立つなら~ね。
012エフェソスのチケット 

このチケットで又入ります。透かしが違っています。
右は出口付近のお土産屋さんで
19リラで買いました

私たちの第三回目の
古代最高の遺蹟の
見学の始まりです
【ここも世界遺産に登録なし】
 
このエフェソスは、世界屈指クラスのローマ遺跡と言われています。 
 

1無題トルコ遺跡

  

耳を澄ましてごらん、、、
あの頃の人たちのざわめきが
聞こえてくるでしょう!!!


って猫は耳を傾けながら言いました


694 - 遺跡の猫 (2) 
ベルガマと共に
「エーゲ海の二つの薔薇」と呼ばれた。
エフェソス遺跡

地中海沿岸諸国を属州化したローマ帝国時代の地図無題ローマ帝国の地図

(資料転写)

近辺は今のエルサレム

まずこの地図でその時代を把握しましょう

遺跡見学をする前に、入場してすぐにガイドのフセイン氏は指で示して、、、

033 マリアの家の説明     
 

聖母マリア様の家
住み家がここから7キロ離れたところにありますよ!!
と南の方を指を指しながら説明してくれた。

無題マリア住みか


聖母マリア様はキリストの死に傷つき、深い悲しみを背負ったままさまよい、聖ヨハネとともにエフェソスを訪れた。

そしてオリーブの茂るパナヤカプルの丘にたどり着き、小さな小屋を建て、そこで余生を送ったとの説明。  


無題聖母マリア様

19世紀になって、ドイツの有名な神秘家K.エムリックが神の声を聞いたことをきっかけに、聖母マリアの家とその墓の位置を予言した。

発掘調査を行った結果、予言の通り、オリーブの茂る丘に、1世紀に建てられた建物の名残とともに、暖炉の聖なる灰が発見されたとの説明を受ける。無題聖母マリアの家祭壇

次にくるっと回って、北の方を指しました。

セルチェクの市内に聖ヨハネ聖堂院もあり、聖ヨハネのお墓もあります。
無題ヨハネ1

  

聖ヨハネは、キリストの死後、キリストの生涯と教えを福音書にき残し、エフェソスにおいて95歳で永眠しました。へー長生きしたんだね!!
03ヨハネ教会
 

教会は、紀元後6世紀に、聖ヨハネの墓のある小さな聖堂跡にローマ教皇ユスティニアヌスと

皇后テオドラにより建立された。現在見ることができるのは、壁・円柱・床のモザイク画だけである 。との事であるそうです。
10ヨハネの墓 

6世紀に皇帝ユスティニアヌスは、ヨハネの聖堂を大々的に建て直しました。この建物は、長さ110メートル、幅60メートルの十字架形の建物で、屋根は6つの小さなドームになっていた。それじぁビザンチン建築だよね、ありえるのかな??

無題ヨハネ教会想像図

 
(上七枚の写真転写)

聖母マリア様と聖ヨハネが一緒にともにこの町で、余生を送ったと説明を受ける。今のここが実在した本当の場所なんだと思うと、凄すぎる感動とロマンですよね。

 
そして、次は文字に刻まれた白い大理石を紫色の傘の先で説明をするのだった。
無題サカナ

697 イエスキリスト2 (2)
イクトゥス(ギリシヤ文字=魚: ΙΧΘΥΣ) は、弧をなす2本の線を交差させてサカナを横から見た形と魚の文字でさかなの意味をあらわしながら。???本当の意味は、???、、それは魚ではないですよ。との説明

697 イエスキリスト2 (2)

無題さかな2
この文字は頭文字の隠語だそうです。
『ΙΧΘΥΣ:イクトゥス 』=魚(ギリシャ文字)
を意味しますが
本当の意味は

イエスへの信仰を表すギリシャ文字だそうです。
Ι = ΙΗΣΟΥΣ イエス
Χ = ΧΡΙΣΤΟΣ
キリスト
Θ = ΘΕΟΥ
神の
Υ = ΥΙΟΣ
Σ = ΣΩΤΗΡ 救い主 
と記してあるとの説明を受ける
「救い主である神の子イエスキリスト」の意味 です。
この説明を受けてやっと解りました。

次の説明に入ります。
この丸に対角線の意味!!!
その当時における使い方
696 -イエスキリスト1
  
   
    次の説明は隠れクリスチャン同士の暗号
日本の江戸時代みたいですね。

隠れシンボルとして次のように用いられたといわれる。まず、一人の人間が明らかにランダムな直線や曲線を砂の上に描き、その線のうち一本を円弧にする (イクトゥスの半分) 。もし、もう一人が地面に線を何本か描き足す中でイクトゥスの形を完成させれば、二人はお互いがキリスト教徒であると確認することができた。との説明でした。
ミラノ勅令以前のキリスト教徒は、迫害や処刑されるおそれがあったため信仰を公にすることができなかったとの事。
無題コンスティヌス一世 
   はじめてキリスト教を公認した 皇帝
313年コンタンチィヌス一世 が「ミラノ勅令」を発布。特にキリスト教を挙げつつ他のすべての宗教と共にこれを公認した。
こんなに細かい説明してくださるガイドさん!!大変勉強になりました。歴史上に存在していた人々と同じ場所に立っている事に感動致しました。
 
 

313年に飛んでしまったので、ズート昔の紀元前に軌道修正します。


エフェソスの街の成り立ち

エフェソスは女性戦士で名高いアマゾネスにより建設されたと説明を聞く。無題アマゾネス3(資料転写) 
子供に弓矢を教えるときには、弓を射る妨げにならぬように 右の乳房を切り取ったことからその名がある。すなわち、アマゾネスの単数形アマゾンとは、乳房(マゾン)がない(アは欠如を示す)という意味である。武勇に長け、彼女らの優れた弓術は半月形の楯とともに世に知られた。 
 


無題トロイ戦争でギリシア人と戦うアマゾネス (資料転写)
トロイ戦争ではアマゾネスはトロイ方に加わったと言う。

アマゾネスは紀元前2000年ごろから同1200年ごろまで存在したといわれています。叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」で名高いホメロスや歴史家ヘロドトスもアマゾネスについて叙述しています。

その後、紀元前 1077年からイオニア人による移民活動が始まった。
これについては次のような伝説があるという。
無題イノシシの鴨居

(資料転写)
アテネのアンドロクロス王は「魚とイノシシが導く所に都市を築け」とのデルフィの神託を授かった。
魚とイノシシの導く所を求めて旅をしたところ、料理の魚が跳ねて火が飛び散り草むらに引火、そこからイノシシが飛び出した。アンドロクロス王は猪を殺しました。そして猪を食べました。ここが神託の地だと判断し、現存するアルテミス神殿跡から1,200m西に、最初の移民都市を建築します。その地が、エフェソスでした。ガリア人の集落を駆逐して、丘と海と両方を持つ都市を建設し、アルテミス神殿を中心として繁栄しました。

 

と説明を受ける。

後世、これはイオニア人の移動と呼ばれ、それはトロイ戦争の160年後とされている。
 

上の写真はエフェソス博物館にある、ハドリアヌス神殿の入口の鴨居の部分です。伝説の猪が彫られています。737 -神殿の鴨居この付近の欄間だと思うと、教えてくれました、のでパチリと取ってきました。
プロローグが終わり、やっとガイドのフセイン氏が動いた。これから実技講習が始まるのだ、当時のそのままの遺跡に触れ合える幸せに身震いしている私がここにいます。どうに進展するのか??!!!お楽しみに???


 
  
 
  
 

アタチュルクの描いた国  トルコへ ⑦

2013-02-12 Tue : 旅行こと 
アジアとヨーロッパの交差点

素晴らしい見学場所のベルガマの遺跡を後にして、バスはイズミールへ向かって出発した。
イズミル県
エーゲ海に面しているので「エーゲ海の真珠」と呼ばれている。031 - エーゲ海
エーゲ海を西に望みながらバスは南下した。645 - エーゲ海6
やがて道路に乗用車やトラックやバイクや街並みが増えてきた。668 -イズミール8
そして写真の街イズミール街に入った。
032 -イズミール1 
イスタンブール、アンカラに次ぐ第3の大都市だそうだ。昔からの港には従来からの街が発展、拡大され、反対の陸地側は真新しい集合住宅がどんどん立ち並び、山の手の方へ伸びている様子が目に飛び込んできた。
イズミールの町  

比較的イスラム教にゆるい街なので、

ギリシアからの移民が多く、ハーフの美男美女だらけで、

モデルさんがたくさん輩出されるそうですとの。説明があった。イズミルの町1
名前が、イズミ、泉ですもの。綺麗な人がきっと、いそうです。
657町の駅
  
知らない駅を越し、オリーブ畑も越して、サクランボ畑も越して、休憩時間も取らずに、走る事2時間30分
673 -畑 
退屈させないようにする計らいだろうか?
ひた走りのバスのマイクから、突然流れてきた。この曲!!683 - サクランボ
(きょうの昼食メニーである肉の串焼きの歌)
「シシュ・カバブ(串カツソング)」
'SIS-KEBAB'
無題エリチエミ 
江利チエミの、懐かしいあの声が。 
若若しいあの声が!!!

いかがです♪♪焼きたての♪♪シシカバブー♪♪♪♪♪ところかわれば♪♪♪品変わる♪♪♪串カツ申し上げても♪♪♪油であーげて♪♪串にさし♪♪炭火で♪♪もう一度♪♪あぶります♪♪けぶりが出るまで♪♪こんがりと♪♪いかがです♪♪やきたての♪♪シシカバブー♪♪♪シシカババブー♪♪♪
江利チエミ
♪♪みなさんシシカバブーをなんだかご存知ですか♪♪ウスクダラでおなじみの♪♪トルコの名物♪♪串に刺した♪♪焼き肉のことです♪♪なんだ串カツのことか♪♪♪♪♪♪♪
この歌を聞いた子供の頃、私はトルコの名物唄っているけど、そのトルコとはアラビアナイトの国のアラブの遥か遠い遠い国、南極位遠くて行けそうにない遠い国だと思っていた。世にも不思議な国として思っていた、その頃が、あの時が、蘇ったのだ、、父が、母が、私が、若かったあの頃。懐かしかったあの時。。走馬灯のように!!!蘇った過去!!!素晴らしい演出に感謝!!!添乗H嬢さん有難うございました。 

シシカバブ6
これが昼食のメインのシシカバブです。
串に刺してこんがりと焼いてあって、歌の通りでした。
牛の肉に羊の油をつけて焼いたので、とてもクセがありました。脂身のところは口直しにホットする味で私は食べられました。他の方は残したらしいです。 

シシカバブ 【şiş kebap(トルコ)
トルコ料理の一つ。角切りの羊肉を漬け汁に漬け込み、金串に刺して焼いたもの。一緒に野菜を刺して焼くこともある。◇「シシ」は「串」の意、「カバフ」は焼いた肉料理の総称。
やはりここでも添乗H嬢さんが持参したポン酢醤油がくせを消してくれるのでとても重宝しました。

高倉健と

波瀾万丈の江利チエミさん

享年45栄光の光の陰になぜか「影」がつきまとう生涯でした。義姉の横領、自宅全焼、離婚、ポリープで声が出ない苦しみ、等との影が、、多くのヒット、女性としてのたくましさ、そして幸せなひと時が、

 ≪偶然ではあるが、高倉健さんのお誕生日は、213日。
1958
年、健さんとチエミさんが結婚式を挙げた日も、この213日、二重の喜びとなりました。
花嫁衣裳を身にまとったチエミさんは溢れんばかりの幸せいっぱいの笑顔で実家から健さんの元へと嫁いだのです。
そして、それから24年後の213日、
玄関を出たチエミさんの柩がありました。
それは、一生帰らぬ、たったひとりでの遠い旅立ち・・・でした。
そうなのです、江利チエミさんは結婚式も、最期の
旅立ちの日も それは計らずも高倉健さんのお誕生日の日だったのです。
これは偶然なのでしょうか・・・俳優 高倉健さんですが、昔の資料の中にこんな記述があります。 
『鉄道員(ぽっぽや)』公開時に高倉健さんがこんなコメントを出している。
「テネシーワルツが聴こえてくるといまだにドキッとする」(スポーツニッポンより)

映画『鉄道員(ぽっぽや)』のワンシーンに「テネシーワルツ」が流れてくることについて、さんがそんな話をされたのだそうです。健さんの心の中には、チエミさんの面影が、でも宿っているのでしょうか・・・≫

江利チエミさんを偲ぶ「あの人との思い出」より借用記事】


名もない一ファンの私がチエミさんの事をブログに書きこんだその日、 今日が奇しくもチエミさんの命日です。これは、奇跡だと思います!雲の上に浮いているように咲く蓮華のような、ひっそりと気高く咲く白百合のような、チエミさんの在りし日を偲び、心からご冥福をお祈りいたします

次回はいくつもの形容詞をつけても足りないほどの憧れの古代遺跡エフェソス!!です

ベルガマと共に「エーゲ海の二つの薔薇」と呼ばれた。

クレオバトラの妹のお墓が在ったという、、、本当らしい!!!

女王クレオパトラが訪れた地「輿に乗って?」とされる石畳の道を歩きたい!!!

アタチュルクの描いた国 トルコへ ベルガマ遺跡⑥

2013-02-10 Sun : 旅行こと 
 
 
アジアとヨーロッパの交差点

続②
神アスクレピオスにちなんだ病気治療施設

紀元前4世紀ごろから約800年にわたり医療センターとして使われていた場所でした。明日観光に行くパムッカレのヒエラポリスで重病として判断された患者が搬送されたとか。

看板2

まず看板で、聖なる泉とテレポリス神殿(治療棟)
を結ぶ地下道【トンネル】の位置を確認します
花びら型の診療所 も一緒に確認
地下道1 
中庭を斜めに渡る形になっています。このトンネルは当時の面影の保存状態がかなり良いです。今歩いてもゾクゾクと神秘的な気分になりました。

ちょっと高い処の壁にロウソクを灯した穴が所々にありました。6壁に火をともす
患者は暫く歩いていると水が流れてきて、その流れが水琴窟のように患者の心身を心地よく癒し、リラックス効果を与えてくれるとの説明【水琴窟はこの当時からあったのが信じられない
トンネルの中


あなたはよくなーる、あなたはよくなーる」
そして暗示による治療が始まります。一定間隔にあいている(約10個位の)天井の穴からささやきが聞こえます。精神の治療】

トンネルの穴の下
トンネルから見上げた穴
穴毎に医師が寝そべっていたのでしようか?雨の日は大変ですね。

「あなたはよくなーる、あなたはよくなーる」トンネルの穴の上 
地上から覗いた穴
「あなたはよくなーる、あなたはよくなーる」
と聞きながら患者は次の診療施設に到着します。

テレポリス神殿(治療棟)に到着した
患者たちはこの円形をぐるっと廻りを歩きます。
次に部屋に用意されていたベットに横になり
マッサージ、
薬草を使った治療等が行われたとの説明。
これは肉体的治療
ここは地下で上の階の部屋は崩壊して無いそうです。
円形の神殿

この→の先のくぼんだ所はなにかしら?良く解りません。
何かの土台でしょうか?説明してくれませんでした。
あの時聞けばよかったかな!!!

遺跡の保存状態の良い場所の写真です


放射状の床 
内部は大理石で覆われ、水道管が張り巡らされ蒸気が溢れていたそうです、当時の状況はきっと現在のミストサウナのようなところだったのでしょうか?

神殿の天井

天井は当時1800年前のままだそうです。崩壊しそうで正直怖かったです。
天井の穴この写真のような天井の穴が規則正しい箇所は今は皆無。

この下の写真が崩れた穴の天井の現在の状況写真です。

 天井が崩れる

この診療所は非常に保存状態が悪いのに、
遺跡のそばにこんなに観光客が近づいて、
大事な遺跡の保存の事は考え無いのかしらね。トンルルの穴の付近

地上から覗いた穴の付近の原風景。
列柱が崩れて小さいけど並んでいるのが解ります。

 
いわゆる南側の列柱らしいです。

帰路に就く

今きた、トンネルを戻ります、正面の明るい処が入ってきた出口です。

出口へ向かう
16本の列柱の脇を通って出口に向かう
入り口の犬

見学始めた時入口付近で寒くて団子状に

寝ていた四匹の犬は、まだ私たちの帰路まで寝てました。
君たちさようならね!又会えれば良いね! 627 -出口です
T.C.とは国立の意味だそうです。
ここは国立博物館です。


入浴治療や、精神療養、リハビリや、リラクゼーションなどを兼ね備えた施設だったそうです。それは現代も通じる診療行為ですよね、この時代からもうすでに取り入れられている事に愕然としました。 
どんな健康の人だって、いい汗かいてマッサージを受けて快眠すれば体の調子も良くなると思いますよね。 

630 -風景1
ベルガマの街にお別れです。
ベ゛ルガマの町
 
手を振ってくれたベンチのお二人さん!お元気でね!!町のおばさん


ガイドのフセイン氏は人体が血液粘液、黒胆汁、黄胆汁から四体液説はなるとこの当時から知られていたとの説明。帰って調べようと思いました。

無題ガレノス ガレノスは、四体液説は人体が血液粘液、黒胆汁、黄胆汁から成るとする説で、それらは古代の四大元素によって定義付けられ、かつ四季とも対応関係を持つとされた、、、。ガレノスの治療行為は16世紀までの西洋医学を支配した。(ウィキペディアより検索)

古代の名はペルガモン。ローマの庇護を受け、地中海交易からあがる富をバックにギリシャ文化を取り入れたアクロポリスの建設が次々と行われ、巨大な神殿や劇場などが数多く建てられた。その後、紀元前133年、アッタロス3世が亡くなり、後継者がいなかったことから、この王国は消滅しローマ帝国の属州となった。その後も小アジアのおける典型的なヘレニズム都市として、エフェソスと共に繁栄が続いたのだが、イスラム勢力の興隆によりアラブの攻撃を受け衰退していったのだ。アナトリア西部を支配するアレキサンダー大王の急死後、その重臣リシマコスがこの地を支配するがシリアとの戦いで戦死すると、その代官であったアッタロスがペルガモン王朝を築いたのである。紀元前133年、アッタロス3世が亡くなり、後継者がいなかったことから(ホモだったとの説明)、この王国は消滅しローマ帝国の属州となった。その後も小アジアのおける典型的なヘレニズム都市として、エフェソスと共に繁栄が続いたのだがエーゲ海の二つの薔薇、イスラム勢力の興隆によりアラブの攻撃を受け衰退していったのだ。012 (2) 

8時30分から10時30分 古代の総合医療センター
             だった「アクスレピオン」の
観光

10時30分、昼食会場に向けて出発です。

途中イズミール市を通ります

次回は昼食の時間が始まります。
又の立ち寄りよろしくお願いいたします。

一口メモ→→アスクレピオンから連想してアスピリンのそもそもの歴史をたどれば、東洋・西洋で共に古くから鎮痛剤として用いられていた「ヤナギの枝」に行き着きます。いわゆる爪楊枝は、虫歯の痛みを止めるためにヤナギの枝を噛んだのが始まりですaspirin(アセチルサリチル酸)とガイドのフセイン氏の博学に脱帽!!!

 

アタチュルクの描いた国 トルコへ ベルガマ遺跡 ⑤ 

2013-02-05 Tue : 旅行こと 
アジアとヨーロッパの交差点

走ること1時間30分あまり、人口10万人ほどのベルガマの町に到着。すると車窓の右手の小高い丘を指差して、ガイドさんがこの上にペルガモン王国のアクロポリスがありましたと説明された。 (アクロポリスとは「小高い丘」を意味し、防壁で固められた自然の丘に神殿や城塞が築かれ、聖域であるとともに政治の中心だったらしい。「トラヤヌス神殿」「アテナ神殿」「野外劇場」「図書館」「ゼウス大祭壇」などの土台の跡が、、、

アクロ アクロポリス
アクロポリスへ行くロープウェイは団体ツアーの場合分散し、何往復もする事で時間が掛る為や、登って行く大型バスもすれ違えられない位、道も狭いとの理由なのか?かは知らないけども、このアクロポリスを観光ルートからハズされました。トホホ、、、
アクスレピオン1

アクロポリス中市にある。アスクレピオンAsclepieion
「第二のアテネ」と称されるほど栄えた
場所である、ベルガマへ!

左側に軍の基地があり、戦車が整然と並んでいました。
写真をとってはいけないそうです。
なので右に目をやるとハイジのお爺さんがいるでは
ありませんか、あのアニメに吸い込まれました!!
えっここはどこなの?ってね。
羊飼い2 羊飼い1

ネ!ネ!!杖と犬と羊が揃っているでしょ!!!

又又同じチケットです 

よくみるとベルガマと書いてありました。

チケットと軽石 
  
至る処に軽石の採石プラント所が点在し、軽石はベルガマの産地だそうです。お土産に1リラで買いました。
ベルガマの看板1

ベルガマ遺跡
前日エドレミットにあるアドリナホテルに泊まりベルガマの古代遺跡の観光のスタートです。距離はそこまで約80kmとか。ベルガマはペルガモンとも呼ばれ、紀元前2世紀から1世紀にかけてペルガモン王国の都として栄えた街だそうですが、ヘレニズム文化が栄えたたこの遺跡はいまだ世界遺産にも登録されないのが、とても不思議です。発掘された出土品の多くはドイツ・ベルリンのペルガモン博物館に収蔵されているとのことです。ベルガモン博物館

10年前に行ったこの博物館の名の由来の地に今立って呼吸している私が此処にいるのです。とても感激してます。

ゼウス神殿

紀元前2世紀ペルガモン(現・トルコのベルガマ)で建造された大祭壇が博物館内に再構築されている。全長100メートル以上に及ぶ浮き彫りはギリシャ神話の神々と巨人族との戦い(ギガントマキア)を表したもので、ヘレニズム期の彫刻の代表的なものである。
重い沢山の大理石をドイツまでよく運んだものだ、と関心してしまいますが、
この偉大な貴重なトルコの遺産を持ち帰ってしまう精神って何なのでしょうね。

名前を付けてくれただけでも良心をかんじる!!

看板2

私たちの第二回目の
古代遺蹟の
見学の始まりです
【ここは世界遺産に登録なし】 
 
  ペルガモン王国の医療施設「アスクレピオン」ご案内!古代文明の神秘の謎を体感してください。 ローマ時代の医療施設跡「アスクレピオン」があります。聖なる泉、円形の治療棟、暗示療法にも使われた地下道、劇場などがあり、その療法は多種多様に。見どころが沢山ありますよ。さあーご一緒にいかが?
聖なる道

遺跡に入場してしばらく歩くと、聖なる道という参道に出ます。聖なる水1
聖なる泉の水を汲んで
まず身を清めてという太古の昔の人たちの思いで大理石
がすり減っているのがわかりますか?
聖なる水2
【日本でいう拝殿の脇にある手水舎と同じ】
手水 
聖なる水が入っていた水槽部分の

長方形の1辺のみ残っていて、他3辺は土台だけ

参道にはイオニア式の円柱がたっていました。清の道 (2)

所々に回廊の遺構が残っているのがわかりますか?聖なる道2

木道を作っている職人に出会いました。小雨の中御苦労さまです。
木道つくり 
 参道の終わりに来ました。ここからは神域で、かつては門があり、壁に「死者はこの門を入るべからず」といったような事が書かれていて、治癒の見込みのない人【お金があっても身分の低い人=本音】は門前払いされていたそうです。医療センターといっても、治る見込みのある人【身分の高い人=本音】だけが入れる、というのは、精神的な意味合いとしての医療だろうかと庶民の私は考え込んでしまいました。門1

門を抜けたところの広場に大変めだつ太い蛇の彫刻を施された円柱があります。古来蛇は脱皮することから生まれ変わり=再生のシンボルとされ、現在も医療の象徴となっています。病院に着いた患者たちはまずこの蛇の彫刻に祈りを捧げました。

そうだ足の痛さを取り除いてってお祈りするの忘れた!!あああー

二匹のへび

 
また、入場を断られた人が、絶望のあまりにその場で死のうと毒蛇から毒を取り出して飲んだところ奇跡的に病気が治ってしまったという話もフセイン氏から聞きました。
柱頭A 
イオニア式
イオニア式1 (2)
コリント式やイオニア式の装飾が施されている柱頭。自分の目で見た初めての柱頭です。これも感激! 今これが現実なのだ!見たのです!嬉しいです!そうだ 次はエジプトへ行ってみよう!!!

アカンサス模様 (2)コリント式 

覚え方です、、、
渦巻きに卵が3か4でイオニアよ

野アザミの葉ってコリントだ
初期がドーリア式、中期がイオニア式、末期がコリント式  
柱廊1    
  

列柱には、もともとイオニア式の柱が並んでいたが、175年の西アナトリア大地震で倒れてしまい、コリント式やイオニア式の柱頭を入れ換えたり、長さがちぐはぐなのを、つぎはぎして足してみたりしています。まるでパッチワークのように
この行為が世界遺産に登録されない理由らしい!! 見渡した遺跡
医療センターには似合わないローマ劇場があります。劇場A 

正面が貴賓席です
どうやら、芝居や音楽なども治療の一環と
考えられていたようです
3500人収容できたそうです。
劇場の最上段に登ってみました。
上から見た遺跡
散々している遺跡が見えます。2方向通路
集会所施設の避難通路は必ず2方向通路を設けるという現在の法がこの時代にあったとは、感心していまいました。  
16本の列柱の裏のレンガの壁が図書館の跡。医学書なども集められていたそうです。(M氏より借用画像)
列柱A 
アクスレピオンの図書館から劇場に向かう回廊の列柱 圧倒的で迫力ある遺跡です。一度見て来て下さい感激しますよ。 
図書館の壁と柱 


(M氏より借用画像)

文化に力を注いだペルガモンは、図書館のレベルも世界最大級であり、その力に恐れたエジプトは、パピルスの輸出を禁止しました。しかし、ペルガモンはこの危機によって【ドイツ語で羊皮紙は「ペルガメント」と呼ばれる】羊皮紙を発明し、より蔵書が増えていったといいます。身を清める2
聖なる泉。患者はここで水を飲みます。
当時からの井戸があり、今も水がわき出ていました。

身を清める1
微量のラジウムが含まれているとのことです。

身を清めた患者は地下トンネルを抜けて

テレスポス神殿へ額ずきましょう

病は気から。まずは病んだ気を治すのがアクスレピオンのやり方。

 

これで痛いところは治るかもしれない!!!

次回へ続きます。又覗いて下さい。

イズミル県  

ベルガマの地図です。今ここにいます。


 


アタチュルクの描いた国  トルコへ ④

2013-02-03 Sun : 旅行こと 
アジアとヨーロッパの交差点
 トルコの一泊目    

今日一日のメモ

7時30分  トロイへ向かって出発

10時頃     休憩

12時    レストランにて昼食

13時00分  フェリー出航

400分  トロイ見学

15時30分  ホテルへ向けて出発

17時     
                         アドリナホテルデラックス
                             ヘルスendスパ 到着

【エドレミットの町はエーゲ海
                                 に面しています】

18時55分  ロビーに集合

19時    ホテル内のレストランで
                          バイキングの夕食

走った距離  イスタンブールからエドレミット
                          まで約540㎞

ドライバー 2名で約200㎞位の間隔で運転を交代していました。

エンジンブレーキをいつもかけてるドライバーさん
【安全運転を心掛けてくれました。】

ドライバーさん

トロイの遺跡見学を終え、エーゲ海のリゾート地エドレミットにあるホテルへ向かいます。約120km走り、約2時間で、私たちのバスはいよいよアドリナホテルデラックスヘルス&スパ へ到着しました。ホテルはエーゲ海に面して建つ豪華なリゾートホテルで、ホテル全体もゆとりある作りでまだまだ新しそうで綺麗でした。
1アドリナ2泊目のホテルカウンターロビーホテルの入り口
  

部屋でお風呂にゆっくりと浸かり疲れを癒した後、大きなレストランでビュッフェの夕食を取りましたが、ここには他に阪急さん【バッチで解りますが私たちLOOKはバッチなしです】や韓国の団体ツアー客が大ぜいで、にぎやかにわいわいと種類も豊富で美味しい食事を頂きました。 また、明日は 朝7時15分 出発なので、夜のうちに荷物をまとめて
おいてから寝る事にします朝が楽ですから。【私の仕事ですからね旦那はもうねてます。ひどいよね!!!】本当に荷物まとめは嫌いです。若い時は平気だったのに。簡単にする方法ありませんか?それにつけても連泊は楽でいいですね。
ホテルのプールに夕日

ロビーから眺めたエーゲ海とホテルのプールと太鼓橋
ウエルカム2
ウエルカム菓子【メレンゲが入っていました】部屋からの眺め
部屋から望むエーゲ海生ジュース
朝食の時、生ジュースを絞って売っていました。5リラでした。トルコはやはり果物が美味しいですね。
 
生ジュース1
非常口
非常口のマーク
【日本の方が解りやすいと思います】 

風力
朝 7時15分 に出発です。エドレミットのホテルを私たちは出発後エーゲ海沿いを南下し、ヘレニズム・ローマ時代の古代遺跡、ベルガマ遺跡とエフェソス遺跡を見学する予定になっています。
ベルガマまでは約80kmで1時間位で到着しました。途中の畑の向こうに沢山の風力発電の風車や地熱発電所が見えます。
地熱発電 トルコはまだ原発は無く、現在建設中だろうです。色々な国が売り込んで入札してくれましたが、日本を信頼して 普通の2倍の価格で東芝に受注したそうです。
あんな事故があったのにかかわらずに、嬉しい事ですね。
ガソリンスタイドガソリンの値段の高いのに驚きです。ガソリンの消費税が17%ですってよ。だから200円以上しているのですね。

 

 

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