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昔から現在へ 知っておきたい建築様式のススメ【9.15】

2010-10-23 Sat : 建築様式 
 城からの景色
のための建築から、
  民のための建築
端正かつ華麗

ドイツ

今回もドイツのルネサンス建築の伝播として

下記の建築へ進みましょう

ドイツ語圏諸国→②ハイデルベルク城オットーハインリヒ館(1556~)
ハイデルベルク城
丘に立つ城がハイデルベルク城です3ハインリヒ
ドイツ観光の定番の一つ、ハイデルベルクへはこの橋を渡ります橋-Heidelberg.jpgHd.jpg
ネッカー川の恵みを受けるこの地域に人が住み着いたのは、紀元前のことですハイデンブルグ3
ハイデルベルクの観光業を間違いなく後押ししたのは、グライムベルク伯です。彼はこの城を描いたスケッチを広く流布させた。これは事実上、絵はがきの先駆けとなった。同じ頃、城ではすでにお土産用のカップも販売された。さらに観光業にとって決定的な一押しとなったのが1840にハイデルベルクが鉄道に結ばれたことである
21世紀の初め、ハイデルベルクには年間100万人を超える訪問客があり、外国からの観光客の多くはアメリカ人か日本人である。ツアー客のもっとも評判が良いのは城の展望テラスからみる街の景色である。ハイデンブルグ1
この配置図で位置関係を把握してください547PX-~1

フリードリヒ館が左側です
オットハインリヒ館からルートヴィヒ館は右の建物です
ハイデンブルグ4
美しいルネサンス式ファサードを持つ建物に囲まれた中庭に入ります。
中庭にて
17世紀後半から18世紀にかけて、城は戦争により破壊され、その後の修復工事中にも落雷により、さらに被害は大きくなったのでした。
ルードリッヒ
ハイデンブルグ2
この建物は壁きり残っていません。ですからこの壁の後ろは崖ですからね、気をつけてね
春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして

映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月

歌のようなお城です
外国版の荒城の月ですね 破壊された城
30年戦争(16181648)やフランスと領土を争った遺産相続戦争(16881693)で街は一面焼け野原となってしまいましたが、戦後戻ってきた市民により街の復興が進められました。
そして先の大戦では無条件降伏によって戦火を免れたため、1700年頃に建てられた街の様子を今に伝えてくれているのです。
「悲劇的だが威厳のある城趾」破壊された城趾は愛国心のシンボルとなったのです
なにかドイツの人の精神が日本の私たちに理解出来るのはどうしてでしょうね

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