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「汎ヨーロッパピクニック」計画の陰に日本人女性!!!あり

2010-03-14 Sun : 未分類 

"糸見偲さんの

『「汎ヨーロッパピクニック」計画』が、
ベストエッセイ集に選出"

糸見偲女史の平成20年度外務大臣表彰受賞

 

民主化に取り組む市民団体の運動はブタベストから全国に波及し、

世界をあっと言わせた「ヨーロッパ・ピクニック計画」が計画されたのでした。

「ピクニック」に行けば西に出られる」と伝えたのでした。

果たして1989年8月19日午後3時、集会は開かれ、

大群衆(今日では15,000~20,000人といわれている)が詰めかけ、計画をはるかに上回る熱狂と情熱で、

残されていた鉄のカーテンを破壊してしまいました。

「ピクニック」はまさにお祭り騒ぎとなり、政府の許可を得て行われた国境の象徴的開放のすきに、

1,000人を超える東ドイツ人がなだれ込むように国境を越え西側に脱出しました。

こうして「パン・ヨーロッパ・ピクニック(汎ヨーロッパ・ピクニック)」は世界史上に残る出来事となりました

ハンガリー政府のその後の対応も忘れてはなりません東ドイツからの国交断絶を覚悟で、ハンガリーに対する処罰をしないことを条件としたハンガリー国内の東ドイツ人強制送還要請を退け, 国境を東ドイツの人々に解放し続ける事を決断したのです。     

東ドイツでは、同年11月初め、自由への欲求が爆発し、数百万人のデモが起きました。党首ホーネッカーは、ベルリンの壁は今後100年はもつといいましたが、それもむなしく11月10日、ベルリンの壁は人民の手で打ち壊されたのです。

 記念碑 記念塔

lit3祈念公園記念公園 

ハンガリー・オーストリア国境地帯に属するショプロンが選ばれたのはこの町がハンガリーから飛び抜けて、オーストリア領に食い込むような形になっており、 3方をオーストリアに囲まれていたため、比較的オーストリアに脱出しやすいと考えられたためである。

糸見偲さんの『「汎ヨーロッパピクニック」計画』が、ベストエッセイ集に選出

      前文を省略  

日本では冷戦の終結は「壁」の崩壊

からだと思い込まれているようだが
実はハンガリーの小さな国境の町(ショプロン)

での「ピクニック」計画がその引き金、
導火線だったのである。当時、私はブダペストに住み、

九〇年に国会議員に 選ばれた夫と共にハンガリーの

民主化を見守ってきた。直接的には「汎ヨー ロッパピクニック」

計画には携わらなかったものの計画の一部は

私達の家で 練られた。事件の一部始終を見聞して

体が震えるような思いだったのを今で も覚えている。                    

 一九九五年の秋、私は「ピクニック」の現場に立っていた、

そこには、私 の背丈もあるような草が生えていて

寂しげに風が吹いている。 何も無い、た だ遠くに

朽ち果てた見張り台があるのみ。 「本当にここで

世界中を騒がせた事件があったのだろうか。」

              後文省略

そして糸見さんはここに記念公園を造り上げました。今は立派な

国民の憩いの場となっています。

この手記を呼んで、初めて知りました。

日本女性の大活躍があった事を。

底力のある糸見さんにすごく感動しました。

その場所に その公園に 私も立ってみたいと思いました。

困難な時代を生きるためには最低限「生きるための強い意思と 工夫」が必要な事をも。

  当時の見張り塔 当時の見張り塔 

 l現在の国旗用 現在の国境線 

あの当時、強い意志をもって、この道を旧東ドイツの人々がオーストリアに向かって走りだしたのですね、希望と勇気につつまれて!!!

  ピクニック ピクニック参加証
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