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大好きな建物100選は如何でしょう?? その⑦

2011-03-19 Sat : 建築様式 
平成9930日。
深谷市教育委員会に
澁澤榮一翁の記念碑が、今にも取り壊されようとしている……」一本の電話が入る。

取り壊し予定の5日前の出来事です
ここ縁の地へ”里帰り
させようと
深谷
立ち上がりました。
栄一写真1
日本資本主義の父、
明治の大実業家「渋沢栄一の像」

16.jpg
17.jpg
深谷市で生まれた渋沢栄一にゆかりの建物で、
平成11年に東京世田谷区から深谷市に移築されました。

049 - コピー
こうして2棟の記念碑的な建物は、渋沢栄一生誕の地である深谷市で、地域の中に生きる文化財として、新たな歴史を歩み始めることになりました
033 - コピー

現代建築へようこそ!!
二度目の深谷ネギの畑の真ん中へようこそ


これがこの「清風亭」です。18.gif

「清風亭」の名前 の由来

清風亭は、当初、佐々木の雅号をとって「茗香記念館」等と呼ばれていましたが、後に「清風亭」と呼ばれるようになりました。
fukaya.jpg
住所  埼玉県深谷市起会110-1
問い合わせ先 Tel 048-571-0341
設計 後に銀行建築の第一人者の名手と称される

   西 村 好 時 にしむら よしとき
    (1886-1961)
2清
施工 清水組(現在の清水建設株式会社)

平成16年3月23日、埼玉県指定有形文化財に指定1清
西村自身は、清風亭の設計にあたって「南欧田園趣味を採用し、これを近代的な手法で建て、清楚な気分を表現することに努力した」という旨を述べています。
清風亭は、大正15(1926)に、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、清和園内に誠之堂と並べて建てられました。
当時の写真

11.jpg
建築資金は、誠之堂と同じくすべて第一銀行行員たちの出資によるものでした。
佐々木も栄一と同じく行員たちから強く慕われていたことが伺われます
12.jpg

13.jpg
南側立面図及び平面図

清11 
煙突の取付け
解体2煙突

           煙突の装飾積み

解体1
切断されたベランダ部分

041 - コピー
日本初期鉄筋コンクリート造りの「清風亭」外壁は、人造石掻落し仕上げの白壁で、対称的に黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントをつけています
043 - コピー
鉄筋コンクリート造り平屋建、約168㎡のスペイン小住宅風の建物

当時鉄筋コンクリートは画期的なものであったとされ日本初期鉄筋コンクリート建築技法を知ることができるという点で高く評価されている

こちらが玄関です。
ここからお邪魔いたしましょう044 - コピー 045 - コピー

玄関ホールからすぐにこのメインの広間へ

046 - コピー

室内で、中心にあって目立つのは暖炉です。当初からの火除け板も残されています。
創建当時には、暖炉上の壁に佐々木勇之助の肖像画がかけられていたが。今は祝賀会の写真ですね

047 - コピー

照明も、建設当時の資料を参考に、復元製作された物053 - コピー

天井仕切の石膏彫刻

天井の仕切り(天井蛇腹)には、石膏彫刻により唐草模様のブドウのつると果実がかたどられています。
ブドウは、当時、「南欧風」を象徴する意匠だったのかもしれませんね
7清
屋根は、南欧風を印象づけるスパニッシュ瓦で葺かれています。現在よく見られるスパニッシュ瓦(スペイン風瓦)は、オレンジ色のものが多いですが、清風亭では、青釉や緑釉のものが使われています
樋2
建物の角やアーチの縁を装飾しているのは、煉瓦ではなく「スクラッチタイル」です。
昭和当初にはよく使われるようになった建材です4清柱頭の装飾は、ブドウの葉と実の彫刻です。  円柱といえばギリシアの神殿を想像させますが、そのコピーではなく、独自のデザインによる装飾を用いています
5清清風亭は大広間の両妻を曲面で膨らまして、そこに、3個所の上がアーチ状の窓硝子をつけています。
その窓の三方のまわりにキャセドラルガラスをつかって抽象模様のステンドグラスをはめています。
窓硝子の装飾としてアクセントを付けるため出窓2052 - コピー

出窓

出窓腰掛け

木製彫刻で装飾されています
3清清15
アーチ全体を縁取っているスクラッチタイルの使い方が非常に上手スクラッチタイルによる縁どりで凹凸がつくられていますが、どれも同じ並びはなく、あえて左右対称を崩した部分をつくっています

1樋

樋の枡のセミ

 縦樋の飾枡には、銅板の打ち出しにより、セミの浮き彫が施されています。これもさりげない小さな装飾です
ちょっと寄り道しましょう
渋沢栄一 生家へようこそ
次は日本資本主義の父の生家「中の家(なかんち)」へ立ち寄りましょうか

栄1
富農であったことを感じさせる堂々とした正門

栄2

天保11(1840)、現在の深谷市血洗島の農家に生まれた渋沢栄一は、「論語」の精神を重んじ「道徳経済合一説」を唱え、各種産業の育成と多くの近代企業の確立に努め、第一国立銀行設立をはじめ設立に関わった企業は500社にも及ぶ。
060 - コピー

渋沢栄一の生家は明治25年の失火により焼失。現存する家屋は家督を受け継いだ渋沢の妹貞と婿の市郎によって、翌年に再建されたものである

061 - コピー  
母屋の奥には栄一用の座敷があり、そのままに保存されている。栄一は帰郷するとこの座敷でくつろいだという。
渋沢翁が里帰りしたときに使っていた部屋。休日は座敷の中まで公開している
栄3
この座敷の前には大きな池がある


この回はこれで一区切りしますがその前に渋沢栄一の名言の中の一つを選んで見ました

良い運は良い人とのご縁から生じる―
その「良い人たちとのご縁」を得るには、
自分自身が「良い人」にならなければならない


3月11日(金)の東日本地震および津波により被害を受けられました皆様に心からお見舞い申し上げます。

我が家も揺れて揺れて、吹っ飛んで、足の踏み場がありませんでした。
片付けるのに6時30分ごろまで掛かりました。
大きなゴミ袋4個と危険物の袋が1個 
すさまじい大袋の山が出来ました。
片付けながら気がついたのですが東と西側の揺れだったのですね。
南と北の品物はそのままに収まっていました。
東と西の品物は飛んだり落ちたり壊れたりで、タンスは前にのめってました。
本当に怖かったですね。被災地の皆様の恐怖は計りしない位だったのでしょうね。 被災地の皆様の事を考えれば、こんな停電なんかに負けません。灯油が切れて寒いけど、頑張ります。
Ⅰが付く年は何かが起きたり変わったりするというジンクスがあるのですが、本当だったのですね、81炭鉱ガス爆発91フゲン岳噴火01同時テロそして今年11はアフリカ大陸の民主化運動だけで終わるのかなと思っていた矢先こんな惨事。
これ以上もうありませんように願いたいですね。





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