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アタチュルクの描いた国 トルコへ エフェソス遺跡⑨

2013-02-24 Sun : 旅行こと 
アジアとヨーロッパの交差点
シーザーの頃のローマ帝国
この地図で当時のローマの属州であったエフェソスの位置を把握しよう
無題アルテミス1遺跡発掘
エフェソスのアルテミス神殿を発見したのは、イギリス人技師ジョン・ウッド率いる、大英博物館の考古学探検隊である。彼らは、1863年から7年にわたりエフェソスの発掘を続け、186912月についに深さ4m半の泥の中から神殿跡を発見した。これは、シュリマンがトロイアやミケーネを発掘する以前のことで、東方の古代遺跡発掘のさきがけとなった。彼らが発見した円柱の断片などは、現在大英博物館に所蔵されている。


(資料転写)

無題発掘調査
近年になり、オーストリアの発掘調査団が引き継いでいます。彼らの調査は、2 つの世界大戦を除き、中断されましたが、 1954 年以来、現在も続けられています。今現在はオーストリアの発掘調査団の研究者だけではなく、エフェソス博物館の考古学者とともに、発掘と復元の仕事をし続けているそうです。トルコの企業も下記な形で応援しているのですね。


422 - エフェソピール
旅行中いつもお世話になっていたエフェスビールは実は遺跡発掘のスポンサーの一つだったのです。頂いた私たちも間接的に援助していたのだと思うと感激ですね。

(ギリシア語でエフェソス、トルコ語ではエフェス)


efes_plan2見取り図2

この案内図を参考にして参りましょうか!!!
トルコの観光・伝統文化の総合サイト資料参照
ヴァリウスの浴場が、 抜けていますので、
ここで修正いたします。 Aのマークの場所です。
エフェソスの想像見取り図1
まずは入場してすぐ正面のヴァリウスの浴場からスタートです。
ヴァリウスの浴場は紀元前2世紀に建てられ、冷水、温水の浴場のほか床下暖房も完備されていたそうです。まずここで長い旅の疲れを落とした。690 -ローマ浴場2
034 -ローマ浴場
長い船旅の疲れを落としたり、疫病や伝染病の消毒として漆喰(石灰を溶かしたもの)を全身に塗りそのあと浴場で身体を洗ったという説明でした。浴場 (2)

市庁舎 市庁舎2 アゴラ(石のゴロゴロ)とバジリカ(列柱)とテミノス神殿(1本の柱)とプリタネイオン(2本の柱)の写真692 -バジリカから
アゴラの隅に、水の貯留があり、ポリオの泉から、水が引かれていたそうです。何故なら、ポリオの泉の遺跡から沢山の土管が発掘されたからです。右隅の土管かな?
693 -アゴラ
このアゴラは160m×73mの広さです。 ローマ時代の紀元前 1 世紀に建てられました。このアゴラは商取引ではなく、それは政府の議論のための会合場所として重要な役割を果たしていた。
バリシカの看板


698 - バジリカ

バジリカ(大聖堂)跡

A.D 1 世紀の建築、長い側 10 列と 短い側6列に囲まれていました。バシリカ

2階建てと1階のバジリカの断面部分図    
無題バリシカ大聖堂

資料転写
バシリカは金融取引や裁判に使用された

次はオデオンの説明700 - オデオンの看板

オデオンは 2 階建ての柱をもつ装飾された素晴らしい建築でした702 -オデオンの入り口

ここが入り口です。上に登ると3箇所出口があり、扉のドアがあったそうです。706 - オデオンの出口
収容人数1500人。22段の階段状の観客席。035 - オデオン1

座席の場所とオーケストラのステージ(土間の部分)があります。

舞台の作りから議事堂としても使われていたようだという。

どんなコンサート聴いていたのでしょうか?

707 - ライオンの足

座席階段の縁にはライオンの足が刻まれている。

708 - 大理石と接合部分白い石の部分は当時の大理石(土と石とセメント?のような当時のジヨイント部分が解る)長い月日なのに、まだ接着している事が本当に不思議!!

701 - 雨どい (2)当時の雨どい(ガーゴイルは雨どいの役目をする)が並んでいます。

雨や日差しを避けるための木製の屋根が付けられていたそうです。ガーゴイドAガーゴイルは雨どいの役目をし、芸術的であるとともに、宗教的意味合いが強い。例えばエジプトでは寺院の平らな屋根の上にガーゴイルがあり、その吐き出す水で聖杯などを洗っていた
ガーゴイル

また、古代ギリシアの神殿では、屋根の突出部についた大理石でできたライオンの口やテラコッタ(赤土の素焼き)でできた貝殻から水が流れ出るようになっていた。さまざまな動物をかたどったものがあった。710 -オデオンの出口 この小さいアーチをくぐると、そこには
711 - プリタネイオン1

(テミノス神殿)があった

神殿の列柱の上にはコリント式とイオニア式の柱頭が載っていて、雄牛の頭の彫り物で飾られていた。 アルテミスとアウグストゥスの崇拝する祭壇があったとのこと。

(資料転写)


dea_roma1.jpg オデオン (音楽堂 ホール)と プリタネイオン(市議会上) の間にあるテミノス神殿です。ジュリアス ・ シーザーの養子でローマのアウグストゥス皇帝の許可を得て建立されました。

次はプリタネイオンの説明716 - イシス神殿

プリタネイオン中央にはかまどがありヘスティア女神の聖火が昼夜、灯っていたと云われています。聖火を守るのは、神殿官吏や行政職の高官でもありました。無報酬のプリタンに選ばれるのは、大変な名誉でした。714 - プリタネイオン

と言う!!この場所から出土したアルテミス像はエフェソス考古学博物館で展示されている。無題アルテミス1

後に、市議会堂と呼ばれる機能も持ち、エフェソスの高官たちが会議を開いたり、迎賓館のようなものだったと言われています。

無題プリタネイオン

(資料転写)

 

プリタネイオンとしてあまりに有名な2本柱があるが、それ以上は私には想像がつかない。ガイドさんはその当時の文献を勉強して、想像して

はなしているのだろうか?とても不思議!!!

エフェソス遺跡案内図

今回はここまでの進行です。まだまだ次回に続きます。

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