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アタチュルクの描いた国 トルコ ⑳ トプカプ宮殿にて

2013-05-18 Sat : 旅行こと 
本日の気温は20度℃こんなに暑い冬を経験したのは初めてです。一昨日は雪景色だったのに。何しろ今

暑くて、あついんですから!!!嘘のような本当の話ですからね

215 -入り口2 
この城壁のような門を潜ると、今日の半日観光が始まります。あの禁断のハーレムの館がこの目で観られる と思うと胸がワクワクしてきます。この門から歩いて10分位で、やっと正門に辿り着きました。約3キロmはあったでしょうか。
無題トプカプ地図

宮殿の正門「帝王の門」(バーブ・ヒュマーユーン宮殿の正門は、アヤソフィアの側にある
この門から観光が始まります。
214 -入り口1 
門を潜ると、最初に左側にこの立派な教会が見えてきた。1128 - 教会
世界のキリスト教徒の教会の中で最古の建物の一つで、現在は博物館として美術展覧会や音楽会等に使われている。

1211 - 教会1

トプカプ宮殿の外の中庭にある元の東方正教会の教会。

"Hagia Irene"(アヤアイリーン)です。

宮殿

海上から見たトプカプ宮殿

文化遺産 登録1985

昼食後、最初に見学したのは、トプカプ宮殿です。

「トプカプ」とは、「大砲の門」を意味するそうです。1130 - 挨拶1
並木道の奥に城壁と門が見えてきました。

オスマン帝国の宮殿として、1856年にドルマハブチェ宮殿に移転するまで使われました。その後、トルコ共和国になってからは、博物館になっています。

 

外廷の正門「挨拶の門」は(バービュッセラーム外壁内の宮殿敷地の内側にはある、第二の城壁で囲まれた縦横200m×400mほどの長方形の空間が、君主の私邸であるトプカプ宮殿の本体部分である。1131 - 挨拶2 (2)
こちらが「挨拶の門」です。2本の門塔が特徴的です。現在ではこの門がトプカプ宮殿博物館の入り口となっています。048 - トプカプ

このチケットで入りました。1133 - トプカプ2
第二の庭園で出会ったトルコの学生さんたちがポーズしてくれました。1136 -幸福の門
「第二の庭」の正面奥には「幸福の門」(バービュッサーデ)とよばれる門があり、幸福の門(謁見の間前の建物)225 -謁見の間4
1138 - ハーレム3
その奥にある「謁見の間」(アルズ・オダス)と呼ばれる建造物には、現在は有名な「トプカプの短剣」が展示されている宝物庫がある。1143謁見の間6
謁見の間の玄関のすり減った大理石

1453年にこの地を征服したメフメト二世が建てた宮殿です。

 
1137 -謁見の間 (2)
スルタン謁見図
11140 - ハーレム
謁見の間は、外国の大使や政府の高官などを謁見した場所。式典の祭には幸福の門の前に玉座が置かれたそうである。 無題宮殿配置図2

これから禁断のハーレム観光です。皆全員が集合するのを待っています。誰なのだ遅いのは?


謎に包まれた組織の実態を、、、ハーレムにおけるスルタン妃や側室や女官や宦官の演じた政治的役割を、、、、早く見てみたい!!!逸る気持ちを。。。!!!

227 - 集合

想像するだけでも胸躍ります。ハーレムは別途チケットが必要なのです、こちらがそのチケットです。

これで入ります。
016.jpg

ハーレムとは「禁じられた」という意味のアラビア語から。トプカピ宮殿の一角には400以上の部屋がつくられ、最盛期の住人は2000人を超えたとか。ハーレムの生みの親で、スレイマン1世の愛妾であったロクサレーナも元はロシア人奴隷。ライバルを蹴落としてスルタンの母親に上り詰めた彼女は数少ない成功者の一人でした。1無題宮殿配置図

【歴代君主オスマン朝の7代目です】

7.メフメト2世(1451 - 1481年)

京都御所においても「禁裏」という言葉がありましたね。その意味するところは、同じなのか、とても不思議ですね。

次回は「ハーレム」に迫りますので、ご期待ください?!?!?!

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