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ベルリンの壁まであと少し   (3の2)

2010-03-08 Mon : 旅行こと 

さて、いよいよライプツィヒへ、バッハが死ぬまでカントールを勤めていた聖トーマス教会へ

バッハBachが生涯を過ごした町へ、また15世紀から書籍(印刷)とメッセ(見本市)の町として有名な街へ。

               leipzi市役所 旧市庁舎

ライプツィヒでの  「無血革命」 ここが舞台です、歴史の始まりです。民主化運動の拠点となった高名な場所です。

 あわや第二の「天安門事件」かと思われた1989年秋、10月9日のライプツィヒ7万人規模のデモは、まずライプツィヒの市内4箇所の教会での平和祈祷会で始まった。
その一か所である、聖ミカエル教会の説教者がイエスの一粒の麦の例えを語った。
「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」と。
 午後6時半すぎ、それぞれの平和祈祷会が終わって、

人々がそれぞれの教会から出てきて、併せて、

7万人もの人々が周辺広場に集まった時、

彼らは両手に火をともしたロウソクをもっていた。

石や棒ではなかったので。

そのため周囲の警官隊は手をだすことが出来ず

結局撤退し、流血は回避された。

その行為は東ドイツの人々の心にじわじわと油紙が少しづつ燃えていくように焦がしていったのです。

あの奇跡が起きたのはこれからひと月後の事です。なにかホットしましたね。

        2003_0827画像020059  

そのヨハン・セバズチャン・バッハは1750年7月28日に世を去りました。

そして彼の遺体は聖ヨハネ教会に埋葬されたのですが。 

 彼の遺体が思い出深い聖トーマス教会に納められたの

第二次大戦後。

 死後200年が経過してからです。よかったですね>

教会の庭に建っているこの銅像はバッハです。

こういう御姿なのかとまじまじと見上げました。

この銅像のそばの、 横の扉から入ると、ふと見ると、

右側に祭壇とバッハのお墓がありました。 

 
イメージでは正面の扉から入り、静まりかえった教会を祭壇に進み、

床に花を捧げられた豪華で綺麗なバッハのお墓があるはずなのに 。

でもバッハらしく質素でいいかもね。

 バッハやメンデルスゾーンといった作曲家、

ゲヴァントハウス管弦楽団のライプツィヒは音楽の町として有名です。

2010年はシューマン生誕200年、トーマス合唱団創立800年をも祝います。

ライプツィヒは活気ある経済の中心地で、ポルシェの工場とセンターやBMW3シリーズ工場、がある町としてでも有名です。

10auerbach2ファウストとメフィストフェレスのブロンズ蔵 2003_0827画像020056

次は昼食の為にゲーテの《ファウスト》で有名なアウエルバッハス・ケラーへ。

 メフィストとファウストが大学生をからかう場面で登場する

居酒屋アウエルバッハス・ケラーです。今も営業を続けています。

このレストランは旧市庁舎近いメードラーパッサージュ にあります。

アーケード街なので、周りは商店が多いです。

メフィストとファウストの銅像が入口に立っているライプツィヒの名物レストランで昼食。

この有名な所で昼食がいただけるなんてとても良い思い出と記念になりました。

これから自由探索です。繁華街の真ん中ですので、沢山のお店の冷やかし です、

以外と物価が安いのに驚き、一m真四角の刺繍入りのテーブルセンターが3ユーロなので、

安心して、色とりと゛りで10枚ぐらい買ってしまいました。

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