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昔から現在へ 知っておきたい建築様式のススメ【9.13】

2010-10-12 Tue : 旅行こと 

ドイツの街
のための建築から、
  のための建築へ

端正かつ華麗

ドイツのルネサンス建築がはじまります。
g10462_006.gif
アウグスブルクAugsburg
ルネッサンスの街

泉の広場アウグスク
アウグスブルクの名前の由来になった
ローマ皇帝アウグストゥス1アウグスブルグ 
ロマンチック街道で最古の歴史をもち、かつ最大の都市である。紀元前15年にローマ皇帝アウグストゥスが軍事拠点として築いた。1516世紀は大富豪フッガー家の拠点となり、遠方貿易や銀行業、周辺で採掘されていた金・銀によって、莫大な富をもたらした。中世から近世初期にかけて黄金のアウクスブルクといわれた 教会1
アウクスブルクは兵庫県尼崎市と滋賀県長浜市と姉妹都市なので、もちろんこの両市からの贈り物も展示されている。隣には1182年に建てられた高さ70メートルのペルラッハ塔があり、階段で上ることができる。展望台からはアウクスブルクが良く見渡せる
ヘルラッハ塔1市庁舎
ルネサンス建築の伝播-アウグスブルク市庁舎
Augsburgの地図
建築家エアリス・ホルがアウクスブルクの絶頂期であった17世紀に建設した。ドイツ・ルネッサンス最高傑作と言われている。3階にある黄金の間[Goldener Saal]は見学できる。その名の通り、部屋全体が黄金になっていて、さらに繊細な彫刻が飾られていて、目がくらむほどの豪華さ。黄金の間の隣の部屋には、世界中の姉妹都市から贈られた品々が展示されている。
黄金の間黄金ホール
ドイツロマンチック街道は、中世においてはヴュルツブルクからアウスブルクを通ってさらに南のイタリアへとのびる旧商販街道でした。つい最近、ドイツロマンチック街道は50周年記念を迎えました。日本のロマンチック街道とドイツのロマンチック街道は姉妹街道だそうです。
街道
古都ヴュルツブルグからアルプスの入口、標高833mのフュッセンまでを南北に結ぶ約350kmの観光街道。街道沿いには個性的な大小27の町が点在し、中世ヨーロッパの雰囲気に包まれている。特に、どの路地に入っても絵のように美しい町並みが続いているローテンブルクやルートヴィヒの夢の城、白亜のノイシュヴァンシュタイン城ははずせないところ。時間があれば、ヴュルツブルグの司教宮殿や街道最大の都市アウクスブルクにも足を延ばしてください。
アンナ教会

聖アンナ教会[St.Anna]に関連しています
145cにカルメル修道会の教会として建てられた建物で、滞在した部屋は宗教改革記念室[Lutherstiege]となっているそうです。 
アウクスブルク (Augsburg)で忘れてならない人、、、

それは誰でしょう

luther.jpg2ルター
プロテスタントの父、祈りの人マルティン・ルター

世界をうごかした宗教改革者の伝説の人

自筆マルティン・ルターMartin Luther、はもともと聖アウグスチノ修道会修道司祭であったが、宗教改革の中心人物となったことでプロテスタント教会の源流をつくった。聖書キリスト教の唯一の源泉にしようというルターの呼びかけはプロテスタント諸教会のみならず、対抗改革を呼び起こしたという意味でカトリック教会にも大きな影響を与えた。宗教上の足跡のみならず、ヨーロッパ文化にも大きな足跡を残した。たとえばルターの手によるドイツ語聖書が、近代ドイツ語の成立において重要な役割を果たしたことや、自ら賛美歌をつくったことなどが挙げられる。 
1部屋
 
ルターの部屋【上の写真】

ルターがひろめた主の祈り
主の祈り
宗教改革、ルター95か条の意見書
カトリックは 以後否 というルターかな

【1517 年】 年号の覚え方

ルターの名言集より
家庭は民族の幸運と不運の源泉である。
希望は強い勇気であり、新たな意志である。
酒は強く、王はもっと強く、女はそれよりさらに強く、
けれども、真理は最も強い。

モーツアルトの父の生家

作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父の生家
フッガーハウス
大富豪ヤコブ・フッガー博物館
他にアウグスブルクの歴史に残る著名人たち
大富豪ヤコブ・フッガー(
Jacob Fugger der Reiche
レオポルド・モーツァルト(
Leopold Mozart ・作曲家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父)
ベルト・ブレヒト(
Bert Brecht・劇作家)
ルドルフ・ディーゼル(
Rudolf Diesel・ディーゼル機関の発明者
「グーテンベルク聖書」(「四十二行聖書」)と呼ばれる最初の印刷聖書


Gutenberg.jpg印刷
ルターが1517年に始めた宗教改革は、あっという間にドイツ全土に拡がって行った理由として活版印刷の技術の発展に寄与するものが大きい事が挙げられますルターからさかのぼる事50年以上。グーテンベルグの活版印刷の技術が誕生して、それが徐々に社会に 

普及することになります。まさにルターは、この活版印刷技術が普及したことで、カトリック教会と対等に渡り合えたのでした。今まで、ラテン語でしか書かれていない聖書は、数が少ない為に、教会の司祭しか触れることが出来ず、教会は神の威光を借りて、自分の思いのままに権力を振るっていたのです。それをルターはドイツ語に翻訳した聖書を出版して、それを普及させる事で、カトリック教会の専売特許だった聖書を庶民にも身近なものにしたのでした。活版印刷の技術の普及が聖書のみならず、キリスト教自身を大きく変える事態になったのです

次回はドイツのルネサンス建築の伝播として

下記の建築へ進みましょう

ドイツ語圏諸国→ランツフートの宮殿(1536~)、ハイデルベルク城オットーハインリヒ館(1556~)

アウグスブルク市庁舎(1615-20)、アンティカリウム(1569-71)、ケルン市庁舎ポルティコ(1569-73)、レジデンツのグロッテンホーフ(ミュンヘン、1581-86)、ザンクトミハエル聖堂(ミュンヘン、1583-97) ドイツ・ルネサンスの代表的な建造物としては城、市役所などが挙げられます。




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