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今この別れ時期に考えること

2010-03-23 Tue : 日々のくらしこと 

sakura2010.jpg

  

とても感動した言葉がありました。聞いてください。

人はなぜ「さようなら」

と別れるのか      

         東京大学教授  竹内整一


 「さようなら(ば)」は、もともと接続詞

 一般に世界の別れ言葉は、

    Good-bye

   (「神があなたとともにあらんことを祈る」)、

    See you again 

    (「また会いましょう」)、

    Farewell

    (「お元気で」)、

   のおおよそ3タイプに分類することができる。

日本にも「またね」「ごきげんよ」といった別れ言葉があるが、

最も一般 的な「さらば」「さようなら」(「それでは」「じゃあ

ほな」……)は、 どのタイプにも入らない。われわれは

平安のむかしから、こうした言葉で別れ てきたのであるが、

そこに込められた日本人の心のありようを、とくに、死別

即して、死生観のレベルの問題として考察したものである。

さらば」「さようなら(ば)」とは、

もともと、先行の事柄を受けて、

後続 の事柄が起こることを示す接続詞

であるが、それがやがて、

別れ言葉として自 立して使われるよう

になったものである

 そこには、「さようであるならば」と、事柄の移り行きにおいて、

いったん 立ち止まり何ごとかを確認することによって、

次の事柄に進んで行くことがで きる(逆に、そうした確認がない

と次に進むことができない)という、独特な 発想がひそんでいる。

こちら」を生き切れば、「向こう」に繋がる ならば、

「さようであるならば」とは、何を確認しているのか。 

ひとつは、別れのときまでにみずからに起きた事柄の

あれこれの確認である。

 いま私は大学で、「死生学」というプロジェクトに参画

しているが、そこで のシンポジウムで、作家の柳田邦男さん

が、今は「自分の死を創る時代」だと 提言された。自分の

生きてきたことを何らかのかたちで纏めることによって、
死は受容しやすくなるのだ、と。それを聞いていて、私は

これはある意味の「 さようであるならば」だと思った。

さようであるならば」を自分なりに言葉 にし「物語

にすることによって、が受け入れやすくなるのだ、と。

 これがひとつである。しかし、自分一個が為してきた

事柄のあれこれを繋げ ても、それだけでは「物語

にはならない。

生老病死を含め、この世に生を受 けた

人間誰しもにとって思いどおりにならない

ことがある。そのことも同時に

 確認されなければならない。

(人生とはそういうもの、という「もの‐がたり」)。
それは、「この世の定め」「無常」「運命」などといった

言い方でのものでも あるが、私は、それらを総じて

おのずから」という言葉を使って考えている。

みずから」の営みだけではなく、「おのずから

そうなる、ということであ る。より普遍的な

そうならねばならないならば」という働きとして受けとめ
て、それをあらためて確認・納得しようとしているのだ、と。

サヨナラほど美しい別れの言葉を知らない、

と言ったアメリカの紀行作家、 アン・リンドバーグの理解も

後者の方である。彼女は、世の中には出会いや別 れを含めて

自分の力だけではどうにもならないことがあるが、日本人は、それ
をそれとして静かに引き受け、

サヨナラそうならねばならないならば)」

 と別れているのだ、と解釈している。

 如意の「みずから」と不如意の「おのずから」とは、両方から

せめぎ合いな がら、その「あわい」で人生のさまざまな

出来事が起きている。「さようであ るならば」の確認とは、

そのふたつながらの(むろん挨拶として、いつも意識
的ではありえないが、含意としての)確認・総括なのである。

 先に繋がる事柄の何たるかは問わないままに、

ともあれ「こちら」を生き切 ることによって、

向こう」の何かしらと繋がっていく、

といった発想を日本 人が持っていた

ということである

 そうしたことを、いろいろな死生観のうちを

探ってみたのが本書である。

「ともすると日本から逃げ去ろうとするときに、

あなたの国には「さようなら」 がある、

と思ってもみなかった勇気のようなものを与えてくれた。」

 
 イタリア文学者の須賀敦子は、のちにこう述べている。

彼女にも、それだけ の力をもったものとして、

「さようなら」という言葉の含意が受けとめられて
いたのである。

■著者略歴■
竹内整一(たけうち・せいいち) 東京大学教授

{大学院人文社会系研究科・ 文学部)。専門は、

倫理学・日本思想史。著書に、

『日本人はなぜ「さような ら」と別れるのか』

『日本人は「やさしい」のか』(ちくま新書)

『「はかな さ」と日本人』(平凡社新書)

『「おのずから」と「みずから」』(春秋社)、
など。

 

こんな長文を読んで頂きありがとうございました。

読んで下さった皆様に

今日も又一日が良い日でありますように

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今晩は

サヨナラは外国の人には発音の感じがとても

綺麗に感じるようです

日本の言葉は美しいと感じます

その言葉を大事にしていきたいですよね

大分勉強なさっていて感心しています

お時間おありの時お城に御出で下さいね

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