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昔から現在へ 知っておきたい建築様式のススメ【2】

2010-04-01 Thu : 建築様式 
私を砂塵から救い出してくれたら王にしてあげよう」、

後のトトメス4世の夢にスフィンクスが現れ、そう告げた。

砂を掘るとスフィンクスが埋もれていた。そして、お告げ通り、

トトメス4世は王になったという。これは紀元前1420年頃の

新王国時代のこと。その伝説より時代を遡ること、遥か

1000年もの昔、古代エジプトでは王が神と見なされ

その王たちは知恵とエネルギーを集約させ、

大ピラミッドを造った。

砂漠の中に、4500年も屹立している建造物。

一体、何のために何故、この地に建てられたのか。

西洋建築の原点とも言える、エジプト建築

アフリカ大陸の奥地にその源流を持ち、ゆっくり地中海へ

その流域沿いに花咲いた何代にもわたる王朝。

今からおよそ5000年前に始まり、クレオパトラが、

古代ローマ帝国のオクタヴィアヌスに敗れるまで

3000年もの長きにわたった王朝史を紐ときましょう。

sphinx.jpg スインクス

紀元前約3000年前から、ほぼ3000年に

わたる永い歴史を積み重ねた

古代エジプト建築は、あら ゆる

建築の「原像」ともいえる。

2ピラミット

ギザのピラミッド (カイロ近郊)三大ピラミッド。

左手前から、メンカウラーカフラークフ

 紀元前2800年~紀元前1600年

  全図

古代エジプト建築 

●貴族墳墓(マスタバ)→ネテリクヘト(ジェセル)王のサッカラ葬祭建築複合体=階段ピラミッド(イムヘテプ) →スネフェル王のピラミッド群(メイドゥムのピラミッド、屈折ピラミッド、赤ピラミッド=四角錐形の確立) →ギザの三大ピラミッド(クフ、カフラー、メンカウラー)=構造の変化、用途は不明(公共事業説もあり)

古代エジプトの不思議な技術

アフリカ大陸を北流するナイル河は、砂漠で覆われる古代エジプトに、文明の息吹をもたらした。その母なる河ナイルを境界に、古代エジプトでは、太陽が昇る東域を「生者が生まう場所」、そして太陽沈む西域を「死者が眠る場所」として位置付けていた。その証拠に、ピラミッドや墓地はすべてナイル河の西方に建設されている。数学や天文学に関し高度な知識を持っていた古代エジプト人は、現代の技術でも難解な建造物を数多く残している。 4000年もの昔に、ほとんど狂いなく 100メートルをゆうに超える構造物を築いていたのです

その最高な不思議な技術を

参考にしてピラミッドと神殿 

に分けて整理します

(中にはおまけもあります)

 

第一回  貴族墳墓

         ピラミッド】

 

【太陽が沈む西域を「死者が眠る場所」として位置付けていた。その証拠に、ピラミッドや墓地はすべてナイル河の西方に建設されている】という西側から紐ときます。

【世界最古の石造建築物】 

階段ピラミット 

ジェセル王のピラミッドは、東西に277m、南北に545mの長方形の周壁(入口部分のみ復元)に囲まれています。この広い敷地内に階段ピラミッドのほか、ヘブ・セド祭殿や神殿などが配されています。このようなピラミッドや神殿、葬祭殿、それらに付属する建築物群をまとめて、「ピラミッド・コンプレックス」とよびます。ジェセル王のピラミッドは、ピラミッド・コンプレックスとしての造りが明確に残っており、各建物の修復もかなり進んでいます。

【サッカラの階段ピラミッド】 2階段

上のパノラマ写真はピラミッド南側の中庭です(北側にも中庭があります)。左から階段ピラミッド、中央にセド祭殿、右側には柱廊のある建物と南の墓が見えます。さらに、写真では階段ピラミッドの背後になって見えませんが、ピラミッド北側には葬祭殿とジェセル王の彫像を安置する密室(セルダブ)があります。階段ピラミッドを間近から見た写真です。ピラミッドは、石灰岩を直方体のブロック状にして、それを積み上げて築かれています。初めは単なるマスタバ墳としてつくられました。その後、何度かの設計変更をへて、マスタバを6段重ねた階段状のピラミッドになりました。

 

ダハシュールの屈折ピラミッド】屈折ピラミットダハダハシュール

スネフェル王が建造した、3つめのピラミッドで、途中で傾斜角度が変わっている事から、「屈折ピラミッド」と呼ばれています。下部の傾斜は54度14分、上部の傾斜は42度59分です。下部の傾斜は、本来の崩れピラミッドの傾斜や、ギザの3大ピラミッドの傾斜に近いですし、上部の傾斜は赤ピラミッドのものに近いものです。メイドゥムのピラミッドが崩壊したため、途中で設計変更が加えられた結果であると言う人もいれば、最初からこの通りに設計されていた、と考える人もいます。また、途中でピラミッドの完成を急ぐ事態が生じたためと考える人もいます。ピラミッドの内部は、独立した2箇所の入り口と2つの玄室があり、もしかすると二人のファラオのために造られたとも考えられます(下部がフニ王とも考えられます)。とすると、2段の傾斜は、二人のものであるという事の象徴なのかも知れません。もし仮に、下部の傾斜のまますべてが造られていたら、高さ125メートルのピラミッドになっていたでしょう。

 

【ダハシュール「赤ピラミッド」

         スネフェル王】 赤ピラミット

カイロ郊外のダハシュールにある、スネフェル王建設のピラミッドです。赤っぽい石材を利用して建設されているところから、「赤ピラミッド」と呼ばれています。傾斜角度が43度36分ということで、ギザのピラミッドよりも緩やかです。この角度は、砂を上から落とした時に出来る盛り上がりの角度と似ており、安定感のある感じがします。入り口は、北側の高さ30m程の所にあり、中には3つの部屋が確認されています。中からは、頭蓋骨や胸骨、脊椎骨などのミイラの断片が発見されています。一般にはそれがスネフェル王のものと考えられていますが、頭蓋骨の内側に、古王国時代には行われていなかった処理が施されており、別人のものの可能性もあります。
4.1エジプトのちず

 

地上は切石を積み重ね、石灰岩か花崗岩で覆う蘇生を信じた古代エジプトのファラオたちはミイラとなり、蘇るまでの仮の住まいとして莫大な秘宝と共にピラミッドに埋葬されました。

 

【キザの三つのピラミットの謎】オリオン3

 

【キザの第Ⅰピラミッド】 (クフ王)クスのピラミット

 代エジプト史上、最も大きなピラミッドです。建設当時の高さは147m、底辺の一辺は230m、斜面勾配は51度50分です。その後、外側の化粧石が剥されて(盗まれた)しまったため、高さは10mほど低くなってしまっています。当時はすべての面が花崗岩の化粧石に覆われていて、光り輝くようであったと言われています。このピラミッドがクフ王のものであると最初に述べたのはヘロドトスです。彼は「歴史」の中で、クフ王について、ピラミッド建設のために民衆を強制的に働かせた残酷王として描いています。しかし、今日では、農業の行えないナイル川の氾濫期に、農民の失業対策になっていたと考えられており、いわば出稼ぎ工事のようなものだったのでしょう。長い間、第1ピラミッドがクフ王のものである証拠が見つかっていませんでしたが、1839年にイギリス人ハワード・ヴァイズにより、重量軽減の間にヒエログリフに囲まれたクフ王の名前が発見されました。

 


【キザの第Ⅱピラミッド】

       (カウラー王)

キザ 

クフ王の第1ピラミッドの隣にある、2番目に大きなピラミッドです。クフ王の息子、カフラー王により建造されたと考えられています。クフ王のピラミッドより標高が高い場所に立っているため、錯覚でクフ王のピラミッドよりも高く見えます。上部には化粧石が残っています。高さ136.5m、1辺の長さ210.5mあります。斜面勾配は53度10分あります。中には、棺の置かれた部屋が一つだけ発見されています。このピラミッドの東には、カフラー王の顔を模して造られたと言われている、スフィンクスがあります。スフィンクスは、石材を積んで造られたのではなく、元々あった丘を削って造られています。足元には、トトメス4世の夢の碑文があります。当時、スフィンクスは砂に埋もれており、トトメス4世が見た夢の中にスフィンクスが出てきて、砂を取り除いたら王にしてやる、と言ったそうです。その言葉通りにしたら、実際に王になれた、と碑文には書いてあります。スフィンクスとはギリシャ語ですが、古代エジプトでは、シェセプウと呼ばれています。ギザの大スフィンクスは特に「ホル・エム・アケト(地平線のホルス)」と呼ばれていました。

 

【キザの第Ⅲピラミッド】    

     (メンカウラー王)

 2キザ

3つのピラミッドのうち、最も小さいのが、メンカウラー王のピラミッドです。高さは66.5m、1辺の長さ108.5m、傾斜角度は51度あります。玄室は、ピラミッドの中央の地下にあります。内部からはミイラの断片が発見されたのですが、鑑定の結果、きわめて新しい時代のものである事が明らかになり、メンカウラー王の物ではない事が判明しました。南側には小さな王妃のピラミッドが3基並んでいます。ピラミッドの周りには、化粧石の赤色花崗岩が散乱しています。メンカウラーのピラミッドが小さい理由は諸説ありますが、王権の衰退と言う説がもっとも正しいように思います。メンカウラー以後のピラミッドは、大きさも小さく作りも雑で、ほとんどが崩壊してしまっている事を考えると、うなずける説だと思います。

 

 オリオン

 

 2オリオン


三つのピラミット

 3大ピラミッドはオリオンの三星

としてみられることもあった。

  • 『オリオン・ミステリー』
  • ロバート・ボーヴァルとエイドリアン・ギルバート兄弟は、ギザの三大ピラミッドの配置がオリオン座の三ツ星と一致していることを発見し、ピラミッドの配置が三ツ星と一致していることを示した。ギザの三つのピラミッドは従来から王の墓とされ、クフ王、カフラー王(クフ王の息子?)、メンカウラー王(クフ王の孫?)のものとされているが、この三つの墓は統一の計画の元で建造されただろう事は、ほぼ、まちがいないという事も定説になっている。三ツ星配置は一番目と二番目の星を結んだ線に対し、三番目の星は微妙に右方向へずれている。
  • 謎が謎呼ぶピラミットは如何でしたか?
  • まるで地上に降りたオリオン座の三ツ星のような
  • 冬の星座と結びつけた不思議なお話
  • でしたでしょう。
  • 次回はおまけのコーナーです、
  • 又のお立ち寄り宜しくお願い致します。

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