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昔から現在へ 知っておきたい建築様式のススメ【9.11】

2010-09-26 Sun : 建築様式 
anim3.jpg
~神のための建築から、
     民のための建築へ
端正かつ華麗

フランスルネサンス建築はまだまだ続きますよ
1フォンテーヌブロー
タイトル 
フランス歴代王が愛した
フォンテーヌブロー宮殿44城
フランスにイタリア芸術が花開いたルネサンス期 (16世紀) ユネスコ世界遺産であり、フランスで最も大きな宮殿、フォンテーヌブロー城。
イルドパリの地図ブローの地図2
広大な森のなかにたたずむ城館。フランソワ1世からルイ16世まで7代の王によって増築され続け、中世から18世紀までの建築様式の移り変わりを見ることができる。場内にはナポレオンゆかりの庭やアパート、博物館があります。12世紀のカペー王朝の時代からナポレオン3世の時代まで歴代の支配者に愛されてきたフォンテーヌブロー。もとは古い狩猟館があるだけであったが、16世紀にフランソワ1世はイタリアからルネサンスの建築家を招いて壮麗な宮殿に建て替えたfontaine_50.jpg
フォンテーヌブロー城館(1528-40)LE BRETONによる黄金門、白馬の前庭→対称性を目指しつつ、微妙に非対称4ブロー
18世紀末までの建築様式が凝縮された歴史的遺産のひとつ。なかでもフランス・ルネサンス美術が開花した痕跡を多く残す。かのアナトール・フランスが「フランスの歴史を学ぶなら本を読むよりフォンテーヌブローへ行け」との言葉を残したのもうなずける。anim7.jpg
アンリ2とその王妃カトリーヌ・ド・メディシスの時代に、建築家フェリベール・ド・ロルムジャン・ビュランによって宮殿の大拡張が行われた
王室anim4.jpg
歴代の王の寝室     きらびやかな内装
騎馬像

マチュー・ジャケ(Mathieu Jacquet, 《アンリ4世の騎馬像(Henri IV à cheval)》,大理石に浮彫。ブルボン王朝初代の王、ポー出身のアンリ4世の肖像。 城内にはフランス歴代の王たちを偲ぶオブジェが多くある
城の中マリー
マリー・アントワネット王妃の私室 
池

宮殿の脇に佇む「鯉の池」では、華やかな催しが行なわれた。池の中に建てられたパヴィオンで夜食などが用意された。王族や貴族やブルジョワ達がこんなに贅沢しているから、庶民たちが爆発したした理由がわかる気がしますよね。
フランス革命⇒パリっ子の非難爆【1789】発バスチーユ「年号の覚え方」

革命1馬蹄形の階段
1789年にフランス革命が発生すると、これまでの華やかな宮廷文化は一気にくつがえりました。長い革命期にすべての王宮は調度品が売却されるなど荒廃。フォンテーヌブローもその例外ではありませんでした。しかし、その後、皇帝となったナポレオンが、フォンテーヌブローを自らの権威の象徴とし、再び宮殿を君主のための館として復活させました。
ナポレオンnapoleon.jpg
元々「国王の寝室」であった部屋を「玉座の間」として豪華に改装したほか、放置されていた「ディアナの回廊」を図書室として見事につくり替えました。それに加えて、西側の建物を壊して鍛鉄の格子門を設置するなど、現在のフォンテーヌブロー宮殿はほぼこの時代に整えられました。
ナポレオンが別れの演説をした 馬蹄形の階段フォンテーヌーブロウ2
「兵士諸君、諸君とは長年苦楽を共にしてきたが、ここで別れねばならぬ。 20年間、私は諸君と共に一路栄光の道を歩いてきた。 この数週間に諸君が示してくれた勇気と忠誠を私は永久に忘れないだろう。。。。。 最後に、心から諸君を抱擁する。 親愛なる戦友諸君、さようなら。 別れに際してせめて、軍旗にキスすることを許してもらいたい」
そしてナポレオンはエルバ島に流されていった。
ナポレオンは「白馬の中庭」で部下たちと涙の別れをして、流刑地であるエルバ島に旅立った。そのため、この中庭は「別れの中庭」とも呼ばれている
別れ
ナポレオンの栄光と挫折
そして、その後 (19世紀)

ナポレオンはフォンテーヌブローの宮殿で退位を決意し、流刑地エルバ島へ旅立って行きましたが、「フォンテーヌブローはまさに王たちの住居にふさわしい館である。ヨーロッパ中を探しても、これほどくつろぎを覚え、幸せが感じられる場所は他にない」と後に言い残しているそうです。
バルビゾン村
バルビゾンは、パリから約60キロ離れたフォンテーヌブローの森の北西部に位置する。現在でも人口約1,300人ほどの小さな村です。
アトリエミレー
ミレーはこの村に多くの画家を呼び寄せて、農民だけが生活をしていた村を芸術家の村にしたそうです。
これらの画家はミレー、コロー、クルーベ、ルソー等はバルビゾン派と呼ばれるようになりました。

それまでのフランス美術にはなかった自然主義的な風景画を描きました。特にその中心的な画家であるミレーは農民画の巨匠として広く知られています。

モネの”積みわら”、ゴッホの”種をまく農夫”などはミレーの影響を大いに受けた作品ではないでしょうか

1バルビゾン
2バルビゾン
バルビゾンは1830年代にミレーやルソーといった画家たちが愛した村。村の中心には画家たちのゆかりの建物が残り、周囲には現在もミレーの「晩鐘」に見られるようなのどかな田園が広がっています

2晩鐘羊飼いの少女793PX-~1

ミレーは農民画を描くとき、逆光になっているものが多くありますよね。正面から光が当たっていません。これは人物をより立体的に表現する効果があるのです。人物を立体的にそして強調するために背景があまり描かれていないのが、特徴的です。
コロー、ミレーテオドール・ルソートロワイヨンディアズデュプレドービニー7人が中心的存在で、「バルビゾンの七星」と呼ばれている


立ち寄って下さった皆様にとって今日一日が又良き日でありますように。


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